消えゆく記憶の中で2:
彼の笑顔にみる達成感
山代ジャック・アグネス夫妻
2008年7月19日
北加スタックトン出身の山代ジャックさん(78)と、アリゾナ州生ま
れのアグネスさん(80)夫妻は、ともに帰米2世。アグネスさんは3歳
から21歳まで東京で過ごし、ジャックさんは8歳で両親の出身地広島県
に。戦争中、学徒動員で市内の工場に務めていた16歳の時被爆、原爆に
より父親を失った。
ジャックさんは帰米後、カリフォルニア大学バークレー校に入学する
が、朝鮮戦争で陸軍に応召。日本語を話すことから、通訳として韓国で2
年間を過ごした。その後ロサンゼルスのヒューズ・エアクラフト社に入
社、会社の奨学金で南カリフォルニア大学を卒業し、58年にアグネスさ
んと結婚。長女サンドラさん、次女ビビアンさんに恵まれ、89年に退職
した。
「もしかしたら…」
アグネスさんがジャックさんの「異変」に気がついたのは、2002
年。孫が遊びに来るので、貴重品を安全な場所に片付けようとジャックさ
んが言い出した。しかし孫が帰った後、貴重品の場所を思い出せなかっ
た。1週間ほどし、タンスの中のジャックさんの下着の一番下に財布があ
るのを見つけた。「なぜこんな見つけにくい奥に…」。
不思議に思ったのは、ほんの一瞬だった。「もしかして」。普段から本
を読んだり、友人から話を聞いていたため、すぐに「その症状」に似てい
ると分かった。
思い返してみると、疑わしい記憶が次から次へとよみがえってくる。退
職後、ささいなことにイライラし、怒鳴り散らし、疑い深くなった。東京
に行った際、散歩に出かけて帰り道が分からなくなり、帰って来られなか
ったことがあった。また、家の変な場所から時計や貴重品が出てくること
もあった。「みんな病気のせいなのかもしれない」
協会に助けられた第一歩
冷静な指示を仰ごうと、「米国アルツハイマー協会」に電話をした。対
応してくれた女性は優しく、アグネスさんの話を真剣に聞いてくれた。
「ご想像の通り、アルツハイマーの疑いが強いと思います。早くから薬を
飲めば、症状の進行を遅らせることができるので、すぐに病院に行ってく
ださい」。アグネスさんが、「彼はプライドが高いので行かないと思う」
と不安を打ち明けると、「奥さん1人でドクターと話してみてはどうです
か」とアドバイスを受けた。アルツハイマーであるとほぼ確信していた。
しかし、信じたくない自分がいたのも事実だった。
幸い、ジャックさんの定期検診が迫っていたので、その直前に1人で予
約を入れた。ドクターは、定期検診でアルツハイマーの検査をすると約束
した。検診から戻ったジャックさんに、「どうだった?」と聞くと、「何
の問題もなかったよ」と返ってきた。しかし数日後、自宅にMRIの日程
通知が届いた。ジャックさんは、予約を取ったことを覚えていなかった。
症状の進行を抑える薬を飲みはじめた。しかし、徐々に進行する症状
に、アグネスさんはいら立ちを感じずにはいられなかった。ジャックさん
自身も、消えゆく記憶に困惑し、そのストレスを怒りで表現するようにな
った。ささいなことで怒り出し、周囲を怒鳴りつけた。時には手を挙げる
こともあった。
サンディエゴに住む次女が、アグネスさんを怒鳴りつけるジャックさん
を見て、「こんな所にお母さんを置いておけない。一緒にサンディエゴに
帰る」と泣きわめいたこともあった。「娘にとっても、父親の変わりよう
は受け入れがたかったと思う」
いつも以上に大きな喧嘩をした日、アグネスさんは心を落ちつかせるた
め30分ほど「家出」した。その夜、「あの時どうしてあんなことを言っ
たの?」と聞くと、ジャックさんは、何1つ覚えていなかった。
重くのしかかる介護
このころから1日5時間、デイケアに連れて行くようになった。しかし
ほぼ毎日、車から降りるのを拒むジャックさんに、「行きたくないの?」
と問うと、「ここは僕の来る場所じゃない。僕は病気じゃない」と言い放
った。
最善の方法を探すべく、必死だった。しかし、ジャックさんの脳をむし
ばむ病魔にはかなわなかった。症状は、確実に進行。ある日から、「風呂
に入るのが怖い」と言い出し、アグネスさんが手伝った。おむつを付けて
いたが、毎晩びっしょりお漏らしをし、毎朝シーツとパジャマを洗う日々
が続いた。病気で抗生物質を処方された時は、自宅で点滴を打った。肉体
的な介護が、高齢のアグネスさんに重くのしかかってきた。
夕食にすき焼きを作ったある晩、ジャックさんはすき焼きを見つめたま
ま動かなかった。すき焼きを生卵に付けて食べることも忘れてしまい、食
べている最中に目をつぶって動かなくなることもあった。「長くないか
も…」。アルツハイマー病の本に、「最後は食事を飲み込めなくなること
が多い」とあったからだ。
リトル東京サービスセンターの「アルツハイマー病サポートグループ」
に参加しはじめた。同病を患う親族を介護する人たちが集まり、それぞれ
の体験談を聞きながら、ジャックさんにとって何が幸せなのかを考えた。
常にアテンションを要求し、介護が必要なジャックさんに残された選択
肢として、看護ホームやレジデンスホームが浮かんだ。情報を集め、施設
見学に奮闘したが、月4000、5000ドルは苦しかった。オレンジ郡
日系協会の出版物に掲載されていたエージェントに連絡すると、予算内の
施設を紹介してくれた。
自宅から10分のところにあるオレンジ市の住宅街に建つ1軒家にたど
り着いた。6人の患者を受け入れ、2人の看護士が24時間介護してくれ
るレジデンスホームだ。看護士に、「調子のいい時は1人で面倒みれる
が、悪い時は正直、どうしていいのか分からない」と胸の内を明かすと、
「そのために私たちがいるんですよ。安心して」と声をかけてくれた。
「ここなら、アットホームでジャックも気に入るかも」
ジャックさんが寝た後、1人でスーツケースに荷物を詰めた。翌日、本
人には何も言わず2人で家を出た。レジデンスホーム前で、「私ね、しば
らく入院しないといけないの。その間、彼女たちが面倒をみてくれるから
大丈夫よ」と声をかけた。困惑するジャックさんに看護士は、「部屋に案
内するわね」と優しく誘導した。
「アグネス、おかえり」
以来、毎日会いに行っている。友人には、「毎日行く必要はない」と言
われるが、ジャックさんの幸せそうな顔を見るのが楽しみになった。怒り
っぽいジャックさんの姿はもうない。以前のような、優しい顔に戻った。
3分前のことを覚えていないジャックさんは、アグネスさんが会いに行
くたび、「おかえり」と満面の笑みで迎えてくれる。「ここの人たちは皆
優しいよ」。そう嬉しそうに話すジャックさんを見るたび、「これで良か
ったんだ」と思える。できることはやった。後悔はない。
「アグネス、おかえり」。今日も、ジャックさんの笑顔を見にレジデン
スホームに向かう。(取材=中村良子)
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