日本政府:春の叙勲受章者を発表
南加在住者は男女4人
2009年5月3日
日本政府は日、平成(2009)年春の叙勲受章者を発表した。在ロサ
ンゼルス総領事館管轄区域在住者では、フレッド・ジョージ・ノートヘル
ファーさん(旭日中綬章)、ヘレン・三千代・中野さん(旭日小綬章)、
横山太郎さん(瑞宝小綬章)、安部新二さん(旭日双光章)の4人に対し
て授与される。各受章者の対日功績を紹介する。
フレッド・ジョージ・ノートヘルファーさん
UCLA名誉教授 【旭日中綬章】
ノートヘルファーさんは日本で布教活動をしていた両親とともに、19
39年の出生から高校卒業に至るまでのほとんどを日本で過ごした。東京
のアメリカン・スクールを卒業後米国に帰国し、ハーバード大学へ進学。
在学中、故・エドウィン・ライシャワー博士(元駐日米国大使)にも師事
し、同博士の影響を受けて日本歴史研究の道を進む決意を固めた。歴史へ
の情熱は机上の研究に留まらず、学生時代、友人とともに東海道五十三次
を完歩した。1968年、プリンストン大学大学院にて博士号(歴史学)
を取得し、1069年から2008年までカリフォルニア大学ロサンゼル
ス校(UCLA)にて教べんをとった。
UCLA日本研究センターの初代所長として、日本研究・教育にかかわ
る奨学・研究助成、教員・スタッフ、図書館蔵書などの拡充を率先し、U
CLAを名実ともに米国の主要な日本研究拠点へと大きく発展させた。日
米関係が1980年代の複雑困難な時代を経た1991年に設立された同
センターは、日本研究に留まらず日米関係についての学術的理解の促進に
大きく寄与することとなった。
同氏はまた、USC・UCLA東アジア共同研究センター(米連邦政府
の財政支援を受ける東アジア地域・言語研究拠点の一つ)初代共同所長
(創設人)及び南カリフォルニア・ジャパン・セミナー運営委員(創設
人)などを務め、全米や地域における日本研究全般の基盤形成と発展にも
大きく寄与してきた。日本との関係でも、同氏は京都大学、同志社大学、
国際基督教大学で客員教授を務めたほか、カリフォルニア大学東京スタデ
ィーセンター所長、アメリカ・カナダ大学連合代表員会委員長、国際交流
基金文化特派員等を歴任し、内外で日米の学術・文化・学生交流の促進に
尽力してきた。
専門は日本歴史のなかでも特に江戸時代後期から明治時期である。主著
の一つで明治初期の熊本洋学校教師L・L・ジェーンズをテーマにした
「アメリカのサムライ」(法政大学出版局)は日本史研究の前進に寄与す
る本格的研究書として高い評価を得ている。また英語著作に『American
Samurai: Captain L.L. Janes and Japan』(Princeton)、『Japan
Through American Eyes』(Princeton)、『Kotoku Shusui: Portrait of a
Japanese Radical』(Cambridge) などがある。†
ヘレン・三千代・中野さん
国際なぎなた連盟副会長 【旭日小綬章】
米国ワシントン州シアトル市に生まれ。歳で家族とともにロサンゼルス
市に移り住み、同地で勉学に努め、マニュアル・アーツ高校を卒業後、ト
ーレンス市内のエル・カミノ・カレッジに修学した。
日本国古来の武道であるなぎなたの普及に尽力し、国際親善、特に日米
親善に努めた。
国際なぎなた連盟は、創設記念委員メンバーとしての中野さんの尽力に
より、1990年日本国内に創設され、2002年から同連盟の副会長を
務めている。なぎなたの国際社会への紹介・普及の第一人者として、長年
にわたり同連盟が実施した国際的諸活動の機会を捉えて、自ら後進の指導
育成に邁進し、同活動を通じ国際親善の促進に大きく貢献した。
また、米国なぎなた連盟の創設者の一人として、米国内においてなぎな
たの指導に力を注ぎ、1974年には南カリフォルニアなぎなた連盟を創
設。米国なぎなた連盟、並びに南カリフォルニアなぎなた連盟の会長を務
めている。
米国では、ネブラスカ州、フロリダ州、アリゾナ州において、なぎなた
道場の設立に尽力し、これらの道場において自ら後進を指導。一貫して、
米国における草分けの一人としてなぎなたの米国普及となぎなたを通じス
ポーツ・文化交流を行い日米親善促進に尽力した。1998年からは、エ
ル・カミノ・カレッジでもなぎなたの指導を行っている。同カレッジは、
なぎなたを専門科目として単位を修得できる全米唯一の大学である。
諸団体に属し活発に活動し、現在も委員会メンバーとして活躍している
ガーデナ平原日本文化協会において、1990年に初の女性会長を務めて
いる。このように、なぎなたを通じ献身的に社会文化活動を実践し、日米
の親善に貢献している。温和な人柄であることも相まって、なぎなたを通
じた両国間の友好親善の促進は、日系人社会にとっても高く評価されてい
る。
夫は元カリフォルニア州議会下院議員で2004年秋の叙勲受章者であ
るジョージ・ナカノさん。
横山太郎さん
センチネラ病院医療センター心臓外科部長 【瑞宝小綬章】
岡山県岡山市生まれで、岡山大学大学院で博士号を取得した。岡山大学
で学んでいた頃、当時の日本で用いられていた技術とは全く異なる進歩的
で高度な米国の技術を用いた心臓外科手術を目撃し、強い感銘を受けた。
米国の技術を身につければより多くの人々の命を救うことができると考
え、渡米し心臓血管外科を学ぶことを決心。1965年、ワシントンDC
にあるジョージタウン大学の研究員となった。後にロサンゼルスに移って
以降、セント・ビンセント医療センターを拠点に精力的に活動してきた。
横山さんは渡米して身につけた心臓外科手術の技術を、数多くの論文や
手術実演等を通じて惜しむことなく公表してきた。特に、学会などの機会
にたびたび訪日し、日本における心臓外科医学の発展に大きく貢献した。
横山医師の高い技術を頼って米国はもとより日本を含む世界か国以上から
の難治心臓病患者が執刀を受けており、数多くの人命を救っている。
さらに、セント・ビンセント医療センターにおける心臓外科医の訓練に
関与し、米国のみならず日本を含むアジア、南米、ヨーロッパの多くの国
から外科医を受け入れて技術指導を行ってきた。この訓練を受けた多くの
日本人医師の中には、後に日本の国立循環器センターなど重要な医療施設
で指導的地位についた心臓外科医が多く含まれている。
最近では、日本の医大生をセント・ビンセント医療センターに迎えて心
臓外科手術や術後の患者の経過を観察させるプログラムを実施し、先進技
術を実地に学ぶ貴重な機会を提供している。また、日本胸部外科学会等に
招かれて多数の講演を行ったほか、患者への侵襲が極めて少ない冠状動脈
バイパス手術をテレビモニター中継付きで実演し、日本の心臓外科技術向
上に貢献してきた。
安部新二さん
元南加日系商工会議所会頭 【旭日双光章】
満州国生まれ。慶應義塾大学を卒業後、日商(後の日商岩井、現:双
日)に入社。同社を退職するまで、主に特殊鋼販売責任者としてNY事務
所、アロイ・ツール・スチール社などに勤務した。その間、米国には日本
の鉄鋼製品は粗悪であるという偏見もあり、米国への進出は困難を極めて
いたが、安部さんの尽力により特殊鋼製品の急速な対米輸出量拡大につな
がることになった。日商岩井を退社後、アベ・ブライト・アメリカ・イン
ク(現:エイ・アンド・エイ・パートナーズ)を設立し、貿易業を営む傍
ら、南加日系商工会議所において、会頭、筆頭副会頭等の要職を歴任し、
日系ビジネス及び日系コミュニティーにおける指導的な地位を確立した。
また、現在でも南カリフォルニア地域の日系主要団体に参画し、各諸団体
の活動の拡充・発展に貢献するとともに、日系人社会の福祉向上に尽力し
ている。
特に、南加日商は日本人・日系人のコミュニティーへの支援を重大な使
命とするものだが、日本のバブル崩壊による日本企業の撤退などにより会
員数が減少し、解散の危機にも直面した時期があった。当時会計主任(後
に副会頭)として財政再建に苦心し、さまざな費用削減などを行うことに
より、財政的危機を脱し、その困難を克服した。その一方で、同氏は、同
会議所の社会的貢献活動にも積極的に取り組み、特に副会頭・会頭時代に
は、内外の大規模災害被災者への義援金集めを提唱して、会員やコミュニ
ティーを通じた協力を呼びかけ、具体的成果を上げた。
日系コミュニティーとロサンゼルス市行政当局との関係強化の必要性を
感じ、小東京においてサムライ・パレードを開催した。サムライ・パレー
ドとは、日本の伝統である武士に因んだものだが、一方米国社会において
も騎馬警察は米国の警察の伝統の一つであることに着目し、日米文化の融
合という意味も込めたものだった。
なお、ロサンゼルス市、郡などとの人脈形成に大いに尽力した結果、シ
ュワルツェネッガー・カリフォルニア州知事、ビヤライゴーサ・ロサンゼ
ルス市長などから感謝状を受けるなどその功績は高く評価されている。ま
た、現在はオレンジ郡日系協会の会長を務め日系人社会からも活動に対し
て感謝の意が表されている。
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