財政難に陥っている日系ヘルプラインを支援する目的で今年2月、「命
の電話を支援する会」が設立された。会長を務める入江健二医師は、キ
ム・アンナさん紹介のスピーチで「約20年前にサンタモニカ海岸で起き
た母子入水事件をきっかけに日系ヘルプラインが設けられ、これまでに多
くの人が危機から救われてきた。キムさんは、福祉、法律、医療、移民、
ビザ問題など広い範囲で相談にのってきており、日系コミュニティーは計
り知れないほど大きい恩恵をキムさんから受けている」と感謝の気持ちを
表し、「失われなくてすむ命を救いたい。特に家庭内暴力から子供たちを
守っていく」必要性を強調した。
キムさんの半生は、まさに波乱万丈。朝鮮に生まれ、父親の転勤で2歳
の時、満州・牡丹江へ。第2次世界大戦の末期、突如、侵攻してきたソ連
軍を逃れて北朝鮮に。そこもすぐ追われ、着の身着のままで38度線を越
え、ソウルに脱出。途中、わが子を捨てて逃げまどう親たちの光景を何度
も目のあたりにするなど、悲劇の生き証人に。その後、朝鮮動乱にも巻き
込まれたが、1954年に結婚。69年から4年間、夫の転勤により日本
で生活し、84年に渡米。
’
キムさんは自己の体験を振り返って、「人間が感じる悲しみ、苦しみ、
痛みなどは、どの民族でも同じであることを実感した。電話相談も、民族
を超越して、悩める1人の人間から相談を受けているのだ」との気持ちで
応対しているという。
自己の体験を綴った「牡丹江ー梨惠歳の夏」(2004年、日本文学館
刊)の中でキムさんは、激動する社会に生きてきた実体験を通して学び得
た、人間として生きていく信条を率直に語っている。信念と知性と慈愛に
満ちたキムさんの活躍を、日系社会はまだまだ必要とし、そのための支援
が一層望まれているところだ。
昼食をはさんで、テーブルごとのディスカッションが持たれ、悩みを持
った人をサポートする団体・組織の確認などを行い、ネットワークの強化
などが要請された。
日系ヘルプラインの電話は、1・800・NIKKEI・1(1・80
0・645・5341)、213・473・1633。
(石原、写真も) |