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羅府新報の歴史

 羅府新報は、移民の山口正治、渋谷清次郎、飯島敬一郎の3人が1903
年4月、米国カリフォルニア州ロサンゼルスの小東京(リトルトーキョ
ー)で創刊。現在、海外で発行される日本語新聞としては世界で最も古く、
毎日45,000人以上に読まれている最大規模の邦字新聞です。羅府は
漢字読みで「ロサンゼルス」の意味。ロサンゼルスを拠点に週5日、
日系米国人社会に日本語と英語でニュースを提供しています。

 ミメオグラフ刷りで週二回、発行部数250からスタートした羅府新報
は1904年に日露戦争が始まると、400部を突破。山口社長らは、
合資会社組織にし、美人投票やその他の企画で次第に読者を獲得、新しい
活字を輸入し一歩一歩内容を充実させました。1907年には、経営が飯野
甚内、野沢広、中村正平、戸田弘定の4人に移り、編集部と工場の区別
をつけるなどして新聞らしい体裁を備えた日刊紙になりました。1908年1
月1日には「羅府年鑑」第一号を発行し、1915年まで継続。一時中止
を経て1938年に再生、1941年まで発行しました。

 米国経済の不振に伴い日系銀行が閉鎖された1909年、銀行から融資を
受けていた日本語新聞社は、州銀行監督官に相次ぎ押収されましたが、羅
府新報は、飯野甚内、野沢広らが譲り受けて株式組織にし、銀行監督官の
手から取り戻されました。

 羅府新報を第二の危機が襲ったのは、日本人農家が台頭したロサンゼルス
の二つの公設農産物市場の対立抗争に巻き込まれた1910年。日本人農家
の出荷争奪戦が激しくなり、ライバル紙の「羅府毎日新聞」は市場Aを支持
する市場日報を発行。羅府新報がもう片方の市場Bを支持するようにみえた
ため、市場Aは全力で羅府新報を圧迫、広告と購読のボイコット運動を始め
ました。財政的窮地に陥りつつ対立を続けること三カ月、傍観できなくなっ
た羅府実業組合が調停に入るなどし、危機を切り抜けました。この後、飯野
社長以下株主らが退社し、羅府新報は州銀行監督官により競売にかけられ、
菅野正雄が1335ドルで落札。新しく、猪瀬伊之助、井上昌、駒井豊策ら
が株主となりました。

 菅野社長時代は短く、1911年には猪瀬伊之助が社長、渋谷清次郎が支配
人に。1914年には井上昌が社長、駒井豊策が支配人に就任しました。

 羅府新報の基礎が固まったのは、1922年に駒井豊策が社長になってから
といえます。1926年には英文欄を発行。日系二世の時代になると、英欄の
内容は米国人としての自覚に基づくものに変わっていきました。その後、人
種差別、排日移民法の通過、1930年代初期の経済恐慌、日米関係の悪化な
ど、困難な社会・国際情勢の中で羅府新報はアメリカの主要日本語新聞とし
て開戦の翌年、太平洋沿岸に住む日系人に総立ち退き令が出るまで発行を続
けました。

 1941年12月7日(日曜日)にパールハーバー奇襲のニュースが届いた時、
羅府新報はすでにその日の日曜版を発行していました。「敵国言語の新聞」
として米国政府当局の検閲が厳しさを増す中、翌日は休刊、9日は英文欄だ
けで発行しましたが、10日から日本語版も継続。米国政府当局の指示や命
令に従い、日系人の消息などを伝えました。敵性外国人として開戦直後に拘
留された日系人に関する司法省の発表、夜間外出禁止令、日系人の立ち入り
禁止区域、立ち退き命令などを日系人に知らせる役割を果たし、1942年2
月19日の大統領令で、太平洋沿岸に住む日系人の立ち退きが実施され始め
てからも発行を続け、日系人強制収容所の情報を伝えました。

 羅府新報社員の立ち退きに伴い、新聞は4月4日をもって発行を休止。
この日の紙面では、「皆様の羅府新報として、再びお目見えする日に期待し
てほしい」とあります。

 再刊の約束を3年9カ月後に果たし、1946年1月1日に復刊。立ち退
き令解除の後も収容所から釈放されなかった豊策に代わり、長男の明が社長
に就任しました。排日色がまだ色濃い中、銀行からはローンを断られ、明は
再起の資金集めに苦労しました。

 再刊の反響は予想以上で、購読や広告の申し込みが殺到。収容所から帰還
し、住居や仕事の情報、各地にちらばった友人の消息や日本のニュースを
必要とした日系人の需要にこたえ、発行部数はぐんぐん増えました。1948
年には、毎日新聞欧米部長の高田市太郎氏と駒井豊策との出会いが
きっかけとなり、毎日新聞の記事の羅府新報への転載がスタート。日本のニ
ュースの豊富な掲載が可能になりました。

 会長として羅府新報を支えてきた駒井豊策は、1950年に死去。明社長、
永井伊太郎支配人、橋田悌穂編集長の時代になり、AP通信、日本の時事
通信社、共同通信社と契約。1983年11月には駒井明社長が他界、長男
で三世のマイケル幹夫が 八代社長となり現在に至ります。

 このように、羅府新報は渡米した移民日本人の動向、排日運動などの政治
的動き、その子供である二世や三世の築き上げてきた日系コミュニティー
の様子を百年にわたり記録し続けてきました。米国内の多様な日系社会にお
いて、人と人とを結び付けてきただけでなく、情報提供を通じて日米間の相
互理解の促進にも貢献してきた、ユニークで、また他に類を見ない貴重な新
聞といえます。

 
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